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朝日新聞デジタルに掲載されていた湯山玲子さんのインタビュー
に、愚痴について触れた箇所がありました。
勤務していた会社の中で、はしごを外されて、気持ちが腐っていた湯山さんは、
社外の友人たちと飲みながら互いに愚痴を言いあっていました。
一見すると、「愚痴大会」ですが、湯山さんは社外の友人と愚痴を言いあう中で、自分自身の欠点や評価など、さまざまなことに気がつくことができたといいます。
このインタビューを読んで、
私が感じたのは、「愚痴を、愚痴で終わらせない」ことが大切ということ。
愚痴を言うことは、心に溜めていた気持ちや、納得いかないことを吐き出し、スッキリします。
でも、そこから先が肝心。
愚痴の矛先を、会社という組織や、上司や、気の合わない同僚に向けて、
「会社が悪い」「組織が悪い」「誰それが悪い」で終わってしまっていては、
おそらく前に進めません。
その現状を踏まえて、
「自分がどうしたいのか」
「自分にできることはないのか」
「自分が改めるべきところはないのか」などなどを考えられるかどうかで、
同じ愚痴を延々と繰り返しているのか、
次のステップに進んでいけるのか、分かれるような気がします。
他人と出会うことは、「これからの自分」について考える機会になるので、
愚痴を言うことから、活路を見いだせることもあるのだと思います。
湯山さんは、日ごろから社外活動を積極的にすることを勧めています。
なぜなら、会社の内部とは違う考え方が外の世界にあり、
それが何かの折に「免震構造」となって支えになることがあるから。
一方で、ご法度として挙げるのは、「一人で悶々と悩むこと」。
一人の世界は小さい。
その中を見つめても、新たなことは見つからない。
そして、その悩みの結果は「自分が傷つくことはやらない」ということになりがちと指摘しています。
愚痴を言うことを、次のステップへ進むことに活かせるようになりたいですね。
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