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なぜか生姜焼き@出雲市にて |
「いろいろあったけど、少しは成長できたかな」
これまで気が付かなかったことに気が付いたり、
物事について違う見方ができるようになったりした時、
「成長」を感じること、ありますね。
小さなことでも、変化を感じることができた時、
「成長」といえるのかもしれません。
どうしたら、成長できるのか
何が、成長を促すのかを考えてみると、
私の場合、
「壁」にぶつかったり、人間関係でもめたり、失敗をしたり、結果が出なかったり、
成長の手前には、これまでにない課題があったり、想定外のことがあったりすることが多いです。
高橋源一郎さんが、教育の本質について書かれていました。
『体も動かず、ことばも発することのできない心身障害児(者)が、親を動かし、成長させる。そして、その親たちが鈍感な社会をまた、成長させてゆく。常識とは異なり、弱い者、小さい者もまた、強い者、大きな者を育てることができるのだ。ここに「教育」のもっとも重要な本質、相互性(互いに教えあうこと)を見た』(高橋源一郎:ぼくらの民主主義なんだぜ!より)
障害者のドキュメンタリー映画をご覧になった感想を踏まえて書かれたものですが、
「弱い者、小さい者が、強い者、大きな者を育てる」という点、
「教育とは、一方向性ではなく、互いに教えあうことである」という点、
大切でありながら、忘れがちなものかもしれません。
成長は、自分自身が「成長しよう」としてするというよりは、
気が付かないうちに、「成長させられる」
振り返った時に、そのことに気が付くもので、
自分を成長させる物事や経験の真っただ中にいる時は、ただ一生懸命であることしかないのかもしれません。
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