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ケーキのように作られた焼きプリン |
「あなたが居てくれて、よかったです。どうも、ありがとう」
先日、あるセミナーに出席して、
終了した後で、講師の先生に挨拶にいくと、逆に、お礼を言われました。
驚いて理由を尋ねたところ、
「一番前で、あなたが時々、頷いてくれたから、安心して話せたんです」
とのことでした。
私は、相手の話を聞きながら、よく頷きます。
頷きは、相手の話を聞く立場になると、無意識にしてしまう動きです。
以前に、友達から「よく、頷いているよね」と言われたので、
どのくらい頷いているか、意識してみたことがあるのですが、
数えきれないくらい相当に頷いていました。
頷きすぎかと思って、少し抑えてみたこともあるのですが、
居心地が悪くなり、落ち着きませんでした。
体に染みついてしまった癖のようなので、
頷きを気にしたり、抑えることは諦めています。
今回は、お話をした方の安心につながりましたので、
『「無意識」が、役に立った』といえそうです。
最相葉月さんのノンフィクョン「セラピスト」に、
意識と無意識について、書かれていました。
「そもそも、意識すれば治るというのは、不思議な話である。意識することでかえってひとつのことに固執したり、悩みが深まって身動きがとれなくなったりすることもある。
ところが、精神分析に限らず、十九世紀末、西洋近代に誕生した臨床心理学のほとんどの理論では、意識すれば治る、が大前提となっていた。
心を知ることができるのは自分だけだが、自分にも分からない部分があって、それを無意識と呼ぶ。そして、無意識を意識化するための橋渡しをするのが精神分析などの心理療法で、意識化はいずれも言葉によって行えると考える。無意識にとどまっているものが病を引き起こすと考えるからこそ、言語化することが治療につながると考えられたのだ」
たしかに、「意識すれば、治る」と考えがちな傾向はありますね。
私個人は、ある医師から、「僕らは、目の前に患者さんが来たら、治さなくてはと思う。良い選択肢が見つからない場合でも、治す方向に向かって、何かしないといけないと思う。何もしない、という選択をするのは難しいですね…」という主旨のお話を聞いた経験があります。
人の思考や行動について考える時、あいまいなものは、明確にしたほうが良い。
無意識なものは、言葉にして、意識できたほうが良い。と捉えてしまいがちなのですが、
実は、必ずしも、そうではないかもしれません。
ケース・バイ・ケースに依ると思いますが、
あいまいなもの、無意識にあるものが、
何らかの効果をもたらす側面はありそうです。
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