「長い付き合いじゃないですか・・・」などと、
言われたとき、
素直に「そうですね」と思う場合と、
「う~ん。そうだったかしら?」と思う場合がありそうです。
「そうですね」と思えるかどうかは、
時間的な「長さ」じゃなくて、
人間関係の「深さ」があるかないかに
依るんじゃないかな。
再び、佐藤雅彦さんの著書「考えの整頓」で、目にとまった文章がありました。
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普通、人間は外側にひとつの殻を用意し、
通常の生活では、その殻を自分の縁(ふち)として生きている。
その殻があるから乱暴な付き合いにも内側まで傷つくことなく
毎日を送れるわけである。
幾人かの代えがたい友人達のことに想いを巡らせると、
お互いがアイデンティティの殻を通り越して
皆、ある深さの重なりを共有して接していることが分かる。
その友人と出会い、
その深さに達していなければ生まれようもない頷きや沈黙に出会う度、
相手の存在が自分の内側の奥にまで来ているのを感じるのである。
もちろん、これは、会う頻度が高いとか趣味が同じとか、
というような記号的なことではない。
付き合いの「深さ」のことを思うに
一生という限りある期間の中で、「この深さ」での付き合いに、
幸運にもいくつか巡り合うことができるようである。
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著者の佐藤雅彦さんは、お父様の形見の万年筆のことを考えながら、
物との関係を、人との関係について広げて書いています。
人間関係の「深さ」
友人、家族、仕事仲間、
お付き合いのある、それぞれの人との「この深さ」があるのかもしれません。
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