「カップ麺やコンビニ弁当だけの生活は寂しい」
「1日3食、きちんと食べたほうが健康によい」
「一人で食べるより、恋人や家族と一緒に食べたほうが美味しく感じる」
などなど
いつ、何を、どこで、誰と、どんな風に食べるのが良いか(悪いか)。
あれこれ言ったり、言われたりすることがある。
「食べる」は、自分の生命を維持していくために必要な行為だが、
経済的にある程度豊かになっている日本の社会では、
「食べる」という行為に、生存目的以外に様々な意味や価値を持たせる。
自分の価値観が、社会(世間)で広く共有されているものと重なれば、
ストレスになることは少ないだろう。 しかし、そうではない時がやっかいだ。
社会(世間)とずれていても、
自分の価値観に従った食べ方をするのか。
それとも、自分が持っている価値観を隠し、
世間に受け入れられる食べ方をするのか。
その選択は、自分自身の在り方、生き方に重なるにちがいない。
芥川賞受賞作「おいしいものが食べられますように」は、
「食べる」という行為に焦点を当て、
登場人物それぞれが持っている価値観の違いを対比している。そして、その違いにより発生している人間関係の歪みを描きだした作品だ。
「食べる」は、日常の行為ゆえに、この歪みは小説だから発生する特別なものではなく、
現実の人間関係の中にも、大なり小なりありそうだ。 そんなことを考えると、背筋がぞわぞわした。
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