2021年10月30日土曜日

【目の見えない白鳥さんとアートを見にいく】新しい美術鑑賞方法ではなく、自己発見の方法

 

 目の見えない人と一緒に、美術館に行って、作品を見る。

 目が見えないのに、どうやって見るのか? 

 それが最初の問いだ。

 著者は、「どうやって」を知り、目が見える自分自身の鑑賞方法では気がつかなかったことに気がつく。 

 本書の前半は、アート作品の新しい見方を提案する内容になっていると思う。

ただ、単にそれだけではないという点が、この本のミソだ。

 著者は、白鳥さんと一緒に、様々な美術館を巡るうち、そしてコロナ禍により互いに直接会えない期間も経て、思考を深める。 

 障害者に対する見方、 自分の中にある偏見も見つめなおす。 

 本書の後半は、著者が自分自身の考え方や価値観を問い直す過程が綴られていて、 混沌としているように感じられる。 その混沌さに、私自身は引っ張られて読み進めた。 

 見る対象は、アートじゃなくてもいいということが分かってくる。 
 行く場所は、美術館でなくてもいいことも分かる。 

 ある場所に、私がいる。 そして一緒に、誰かがいる。 

 私と誰かの間に、何かが共有されている。 

 ただ、単に同じ場所にいるというだけになるかもしれないし、 互いに言葉を交わすかもしれない。 

 共有されることは様々であっていいのだと思う。

 障害がある、なし、関わらず。

 一緒の時空にいることから、何かが生まれるということを感じさせられた1冊だった。

 余談になるが、15年ほど前、エイブルアートジャパンを通じて、白鳥さんの美術鑑賞の取り組みを知り、 NPO法人OurPlanetTVで、「見えないあなたと美術館へ」という映像作品を制作した。

本書の前半で触れられている内容は、その制作の際に私が感じたことと重なっていたが、 私自身は、目が見えない人との鑑賞について「言葉で説明する」という点に囚われすぎてしまって いたように思う。 

 本書を読んで、改めて、
障害のある人と共にある、共にする、ことの意義について、考えさせられた。

2021年10月24日日曜日

【その女、ジルバ】「生きていく」こととは?

 

「ドラマ、見ました?」
お会計をしてくれた店員さんが、話かけてきた。
そのお店にはよく、足を運んでいるが、店員さんから話しかけられたのは初めて。マスクで顔が半分隠れていることもあって、最初は、自分に話しかけられたことが分からなかった。

私が購入したのは、「その女、ジルバ」という漫画。全5巻の漫画の大人買い。
NHKのラジオで、作家の高橋源一郎さんが紹介していて、気になっていたのだが、偶然、古本屋さんにセットで出ているのを見つけたのだった。

店員さんは、店頭に出したばかりだった漫画を、私がすぐに購入したので、「ドラマを見た人かな?」と思って話しかけてきたようだ。

質問されたことが分かり、NHKでドラマ化されたことは知っていたが見ていないこと。ラジオ番組で紹介されて、ずっと読みたいと思っていたこと。
古本屋さんで、かなりリーズナブルに全巻セットを購入できてラッキーと思っていることを店員さんに伝えて、そのお店を後にした。

「その女、ジルバ」は、40代に突入した主人公が、高齢のホステスのみがいるお店に飛び込むところから物語が始まる。

お店に飾られている、初代ママのジルバが、どんな人だったか。
ブラジル移民、戦後、彼らにどのようなことが起こったか。
日本に引きあげてきた人、引きあげなかった人。
私が知らない歴史の一端が描かれている。

一方で、主人公の故郷・福島、東日本大震災の後の今を生きる人々も描かれる。主人公は、デパートの売り場から倉庫へ担当が変わり、独身で彼氏もいない。
40歳、これからどう生きていったいいか。不安や悩みを抱えているのだが
ジルバのお店で高齢のホステスやマスターの話を聞くうちに、変わっていく。

ブラジル移民や終戦後の混乱時に起きた出来事など、知らない歴史がたくさんあることも知った。

「生きていく」ということについて、しみじみ考えさせられる漫画。

< その女、ジルバ(1) (ビッグコミックス)

【小さな声、光る棚】面白いと思うのは、その人が垣間見える時

 エッセイを読んでいて、私が面白いなと思うのは、著者がどんな人かイメージが沸いてくる時、著者の人柄が滲み出ている文に出会った時である。


エッセイは、著者がどのような物事に注目しているか。どのような視点でそれを捉えているか。また、テーマについてどのように論理展開をしているかなど、その人の視点や考え、価値観が反映されるものだと思う。


ただ、同じ著者が書いているものエッセイでも、これは面白かったなぁと記憶にしばらく残っているものと、読んですぐに忘れてしまうものがある。

荻窪の書店「Title」(タイトル)の店主、辻山良雄さんの著書「小さな声、光る棚」の中で、私が一番面白いなぁと思ったのは、『父と「少年ジャンプ」』だ。
著者が父親に対して、どう思っていたか。
その見方に、変化がある。


著者と、父との間に、漫画雑誌「少年ジャンプ」が存在する。
「少年ジャンプ」が、器用とはいえない2人の関係を繋いでいたことが感じられて、じーんときた。

小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常

2021年10月13日水曜日

「まなざし」「まなざされる」と「見る」「見られる」 

京都在住の作家・光島貴之さんからのお便りが届いた。

 アトリエみつしま企画展「それはまなざしか」が、 10月1日(金)~2021年10月31日(日)を開催中とのこと。 
 10月2日に実施したギャラリートークの様子は、 YouTubeにて期間限定で公開(10月16日(日)まで)されている。




視覚障害のある光島さんにとって「まなざし」とは、どんなものなんだろう?と考えてみる。展覧会のご案内には、 「まなざしは通常それを向けられる側の観点から語られることが多いと思われますが、視覚に障害のある人にとっては常に見られる側の視点でしか捉えられないものでもあります。 しかし、まなざしを向けられる側の観点は晴眼者にも同様に存在し、「まなざされる」ことへの意識は、外界とのせめぎ合いの中で自己の輪郭をより明瞭にするでしょう」と書かれていた。

 「まなざされる」って、面白い表現だなと思う。
 「見られる」とは、少し違う感じですよね。 

 「まなざし」「まなざされる」は、 他者と自分との関係性が、「見る」「見られる」よりも、よりハッキリと、強く立ち現れる気がする。

 京都に近い方は、ぜひ、お出かけください。 

2021年10月10日日曜日

【死にたいけど トッポッキは食べたい】自分を愛することは難しい

韓国料理の「トッポッキ」(お餅を使った煮込み料理)について、つい最近まで「トッポッギ」だと思いこんでいて、「最後のキは濁らないんだぁ…」と知った。
そんな矢先、今度は、同じく韓国料理の「プルコギ」(お肉と春雨、野菜などの甘辛い味のお料理)の「コ」の発音は「ゴ」のほうがネイティブの発音だと教えていただいた。 ただ、こちらの表記は、「プルコギ」「プルゴギ」両方使われているようだ。カタカナ、難しいね。

トッポッキも、プルゴギも、大スキ(^^♪ なのだが、自分では作ったことがない。 コロナで韓国料理のお店にも食べにいけていないから、恋しくなってきた。あぁ、食べたい。

韓国料理について考え始めたきっかけは、1冊の本「死にたいけど トッポッキは食べたい」(ペク・セヒ著)だった。

タイトルの「トッポッキ」に目が留まり、「あ、私も食べたい」と思ったのだ。でも「死にたくはないけどね」と心の中でつぶやきながら、古書店の棚の前で手にした。

タイトルの捻りと、この表紙から、どんな本なのだろう?と興味が沸いた。 そして、パラパラとめくりながら、タイトルと表紙から想像していたものよりも、ちょっと深そうだと感じて購入した。

この本は、軽度のうつ病を患った著者が、医師とやりとりした内容をまとめたものだ。著者と医師とのやりとりは、いわゆるカウンセリングを傍らで聞いているような感じがする。

友だちとの関係性や距離感
自分のことを好きになれない
コンプレックスがある
自分を責めてばかりいる
自分に自信が持てない

著者が抱えている悩みは、心の病を患っていない人も大なり小なり、悩んだことがあるものだと思う。 著者ほど深く苦しんだりはしていないけれど、似たようなこと考えたことがある。

自分のことを愛する。
自分のことを大切にする。

これは、他人との関係を構築するうえで基盤になるものだと思う。
でも、自分のことって、自分自身ではよく分からないことも多い。

心の中で「こうしたい」「こうありたい」と思っていることと、実際の言動が食い違ったり、逆のことをしてしまったりすることもある。
自分自身を縛っていて、息苦しくしている価値観、規範がどのようなものなのか。もやもやするばかりで、はっきりつかめないこともある。

私は、コーチングを学んで資格も取得したけれど、
クライアントさんとコーチングしていて、いつも思うのは、心の中にあるものを「言葉」にして外に出す作業は有意義だということだ。
誰にも話せないと思うような出来事の場合、自分の胸のうちを日記などに文字で書き出して、しばらく時間が経ってから読み返すと、気が付くことがある。頭の中だけでなく、文字にして外に出すので、有効な方法の一つだと思う。
ただ、自分一人でこの作業をすると、同じことを繰り返し考え続けて、マイナス感情にとらわれ続けることにもなりやすい。

信頼して話せる、聞いてもらえる他人がいるなら、話すほうがより効果的だと思う。

病気になるような悩みの場合は、臨床心理の専門家に話す。
自分自身の今後のビジョンや目標を明確にすることができなかったり、
頑張っているつもりだけど前に進んでいる気がしないなど、目標や行動の整理や明確化が必要な場合は、コーチングのコーチに話すのが良いだろう。

著者は、医師とのやりとりを録音し、自分の発言を書き出した。


カウンセリングの内容を改めて振り返ることは、自分自身と向き合う作業になったのだろう。

「自分のことが好きじゃない」「自分のことを愛するのは難しい」と思っている人に、お勧めの1冊。