夫に、女がいた。
しかも、その相手は、自分が親しくしていた友達であり、
自宅の近所に住んでいた。
自宅に招いて、一緒に食事をしたこともあった。
夫との関係は4年続いていたという。
著者が、冒頭の一節で書いている出来事は、衝撃的だ。
もしも私が同様の出来事の出会ったら、
感情的になって、文章に書くことはできないだろう。
辛い、悲しい、と書き連ねることはできるかもしれないが、
おそらく文章が混乱して、第三者に読んでもらいたいものにはならない。
この著者は、自分に起きた事実を事実として受けとめて、
自分自身がどんな状態なったのか。
どんな気持ちになったのか。
周囲の誰が、どのように自分に接してくれたのか。
当事者でありながら、どこか冷静に
観察することができていて、それを文章にできている。
ある程度の時間が経ち、新しい家族、新しい生活を構築することができたことで 、過去の出来事として書くことができたのかもしれないが、
経験したことを「汚点」とか「黒歴史」と捉えていたら、心の中に仕舞い、
蓋をしておくものだろう。
この著者、すごい。
この著者、すごい。
と思った。
しかし、なぜ、著者は、こうした自分自身の経験をエッセイに書いたのか。
元・夫や、不倫相手となった友達に対して復讐や、恨みつらみを表明するものでないことは
しかし、なぜ、著者は、こうした自分自身の経験をエッセイに書いたのか。
元・夫や、不倫相手となった友達に対して復讐や、恨みつらみを表明するものでないことは
文章から伝わってくる。
文章に書くことで、自分の中で区切りをつけ、前に進もうとしたのかもしれない。
もしかしたら、深く傷ついた経験は
著者自身が今、沖縄で取り組んでいるという虐待やネグレクトなどで傷ついた若者に向き合う活動の源になっているのかもしれないとも思う。
2021年上半期(4~9月)に、私が読んだエッセイの中では、ベスト1になりそうな1冊。
著者自身が今、沖縄で取り組んでいるという虐待やネグレクトなどで傷ついた若者に向き合う活動の源になっているのかもしれないとも思う。
2021年上半期(4~9月)に、私が読んだエッセイの中では、ベスト1になりそうな1冊。
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