2014年10月17日金曜日

はっきりしない人間



「はっきりしない人間になろう」

森博嗣さんのエッセイに、
こんなタイトルで書かれたものがあります。

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魅力のある人
尊敬に値する人
凄い人というのは、計りしれない。

現実も、いったいどこに本質があるのか
はっきりとは見えないものである。

物事を簡単に断定しない慎重さこそ、「深さ」であって、

意見を絶対に変えない頑固さが「浅さ」になる。

はっきりしろという周りからの重圧があるから、

自分ではこれに反発をしていてちょうどよいくらいだと思う。

「ぼんやりしていろ」というのはでない。

「勝手に決めるな」ということである。

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「はっきりしない」というのは、

優柔不断という意味ではなく、

物事を簡単に断定しない慎重さ、
つまり、思慮深さなのだと思います。

言葉が少なく、

表現はつたなくても、

自分が感じたこと、自分の考えを、自分の言葉で話す人、

そういう人の「はっきりしない」ところは、むしろ

信頼できますね。

「はっきりする」ことが必要な場面もあるけれど、

「はっきりしない」ことに価値がある場面もありそうです。

■写真は、渋谷のヒカリエで遭遇した黄色い人。

2014年10月16日木曜日

空気のような存在



「空気のような存在」

子どもの頃、テレビドラマを見ていて聞いたフレーズ。

主婦が旦那さんのことを指して、そう表現していたものだと思います。

「空気のような存在」とは・・・

「いても、いなくても、同じような存在」?
「空気のように軽い存在」なのかしら?

その時は、どちらかというと、
マイナスの意味でとらえていましたが、

改めて考えてみると、

「空気のような存在」って、実は、すごく

深い意味があるのかもしれません。

茨木のり子さんの詩「(存在)」を読みました。

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あなたは、もしかしたら

存在しなかったのかもしれない

あなたという形をとって 何か

素敵な気がすうっと流れただけで

わたしも ほんとうは

存在していないのかもしれない

何か在り気に

息などしてはいるけれども

ただ透明な気と気が

触れあっただけのような

それはそれでよかったような

いきものすべてそうして消え失せてゆくような

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この詩にはタイトルがなかったのですが、

茨木さんのメモから推測されて、(存在)とつけられたそうです。

そこに「居る」、あるいは、「居た」ということ。

空気のように、その存在を感じていること。

それは、

とてもシンプルに、互いの存在を認めあっているということ。

なのかもしれません。

茨木さんは、「自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ」
という詩で有名で、強い意思を感じますが、

繊細さ、柔らかさを感じる詩もありますね。

2014年10月10日金曜日

人づきあいは、自分づきあい



「人づきあい」は、「自分づきあい」でもある。

そんな気づきをいただきました。

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たとえば、自分に無理を強いている人は、

他人にも同じく無理を強いる傾向がある気がするし、

他人の話を聴けない人には、

日頃から、自分の声にも耳を傾けていないんじゃないか

という印象を覚えることが多い。

自己肯定感を十分に育めずにいる人は、

本人に対して本人がそうであるように

他人にも肯定感を抱きにくく、評価的な態度をとりやすい。

つい粗さがしをしたり、疑いを持ったり。

逆に、どんな相手ともごく自然に話ができて、

等身大の自分を素直に表現できる人には、

「他者」との関わりの健やかさの中に、

その人「自身」の関わり合いの健やかさがある。

同じ柔らかさで、他人にも、自分にも接しているのだと思う。

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西村佳哲さんの本からは、
たくさんの気づきをいただきます。

健やかさ、柔らかさを持って、
人とも、自分とも、つきあいたいものですね。

2014年10月7日火曜日

弱いつながり






人間関係を大切にするな! 友人に囚われるな!

浩紀さんの著書「弱いつながり」の
「帯」に書かれてあった言葉です。

少し刺激的ですね。

インターネットを介してつながっている人間関係、
に囚われすぎるのでなく、

旅先で、偶然出会うような人とのつながり(弱いつながり)
も大切。

そんな内容の本です。

東さんの指摘によると、

googleなどの検索サイトでは、

何か1つの言葉を入力すると、

その言葉に基づいて、googleが情報を取捨選択して示してくれる。

つまり、私たちは、googleによってつくられた情報の枠組みの中で、

モノを見たり、考えたりすることになる。

インターネットを「使っているつもり」になるけれど、

実は、ネットによって、モノを見る世界がつくられており、

その枠組みの中に「縛られている」とのこと。

東さんの指摘、なるほどと思い、

少し、こわくなりました。

こうしたネットの呪縛を解くには、リアルが大切。

東さんは、偶然の、予測もつかない出会いや経験を大切にするよう勧めています。

自分の足で歩いてみる。

自分の目で確かめてみる。

空気を感じる。

感じたことを、自分の言葉にしてみる。

ネットで調べる前に、まず、動いてみる。

改めて、大切だなと思いました。